駅の改札を出ると、予報になかった雨がアスファルトを叩いていた。
軒下には、スマホを握りしめ、誰かを待っている人々の群れ。
「今どこ?」「迎えに来て」
そんな電子信号が飛び交う中、私はふと思う。
私たちの心も『よく似ている』と。
突然の寂しさ、あるいは言葉にできない身体の渇き。
そんな心の雨が降ったとき、私たちはつい、立ち止まってしまう。
「彼が気づいてくれるはず」「夫が優しくしてくれるはず」
そう信じて、濡れたまま震えて待っている。
けれど、待てど暮らせど、迎えは来ないことの方が多いのだ。 そうして、勝手に期待し、勝手に裏切られ、冷え切った身体で帰路につく夜を、私たちは何度繰り返しただろう。
Ⅰ. ガラスの靴は、もう履かない
古い童話のせいだろうか。
私たちは心のどこかで、「幸せは誰かが運んできてくれるもの」だと思い込んでいる節がある。
特に、性や愛情の領域において、その傾向は顕著だ。
「言わなくても察してほしい」「私をリードして満たしてほしい」
そんな受け身の姿勢は、まるでガラスの靴を履かせてもらうのを待つシンデレラのようだ。
けれど、現実のパートナーは王子様ではない。彼らもまた、疲れ、余裕がなく、鈍感な一人の人間に過ぎない。
彼らに自分の全機嫌を預けてしまうのは、あまりにもリスクが高い投資だ。 「どうしてしてくれないの?」という期待は、やがて「私を大切にしていない」という恨みに変わり、愛そのものを腐らせていく。
期待という名の刃物は、相手に向ける前に、まず自分自身を傷つけるのだ。
Ⅱ. 鞄の中の「折りたたみ傘」
だから、視点を変えてみよう。
貴女の鞄の奥底には、実は最初から「折りたたみ傘」が入っていることに気づいてほしい。
それは、自分自身の手で、自分の心と体を満たす術(すべ)だ。
お気に入りの香りを焚くこと。
誰に遠慮することなく、美しい道具(プレジャーアイテム)を使って、自分の身体を愛でること。
一人の夜を、嘆きの時間ではなく、極上のスパのような儀式に変えること。
「自分でするなんて、寂しいこと」
そう思うだろうか?
いいえ、違う。 どしゃ降りの雨の中、来ない迎えを待ち続けて風邪を引くよりも、さっと自分の傘を広げて歩き出す方が、よほど賢く、そして美しい。
自分の機嫌を自分で取れるということは、誰にも天候を左右されない「最強の防具」を身につけるということなのだ。
Ⅲ. 雨の中で踊る自由
不思議なパラドックスがある。
「あなたがいなくても、私は私を満たすことができる」
そうやって自立したとたん、皮肉なことに、パートナーとの関係が良くなることがある。
なぜなら、貴女から欠乏感という名の重苦しい湿度が消えるからだ。
「満たしてほしい」と縋(すが)ってくる女性よりも、自分の足で立ち、雨の中でさえ楽しそうに踊っている女性の方が、何倍も魅力的に映る。
「あなたがいても幸せ。いなくても、私は大丈夫」
その余裕こそが、大人の女性が纏うべき、最高のランジェリーなのかもしれない。
Ⅳ. エピローグ
私は鞄から傘を取り出し、勢いよく開く。 雨音は心地よいBGMに変わる。
もし今夜、あなたの心に雨が降っているなら。 誰かの連絡を待つスマホを置いて、自分自身を抱きしめてあげてほしい。
貴女はもう、誰かの傘を待つだけの無力な少女ではないのだから。 濡れたアスファルトを、ハイヒールで軽やかに鳴らして帰ろう。


あなたの声を聞かせて